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サンディエゴ木村です。音楽とゲームが好きです。カリスマブロガーを目指します

サンキム書評#2 『遠い山なみの光』カズオ・イシグロ

 

書評二本目はカズオ・イシグロの一作品目である『遠い山なみの光』にした。大学の授業で読む本だったので読んだけど、少し陰鬱な感じの作風とか含めてかなり好みだったので書く。このカズオ・イシグロさんは長崎出身の日系イギリス人で、2017年にはノーベル文学賞を受賞していることは知っている人も多いと思う。日系イギリス人なので元の作品は全編英語で書かれているけど、読んだのは訳されたものだった。何より日本の小説として読んでも違和感がほとんどない。翻訳もそうだけど舞台設定もしっくりくるものが多かったので、普段翻訳小説とか読まない人でも読みやすい作品だと思う。

 

この本のあらすじを紹介する。主人公の悦子は長崎出身で、前夫との間に娘・景子を授かるも、彼女は精神を病み、自殺してしまう。時が経ち、今の夫とロンドンの田舎に暮らしているところに、彼との娘・ニキの訪問を受けて悦子は長崎に住んでいた頃のことを思い出すところから物語は始まっていく。長崎時代には、佐知子と万里子という母娘と出会っていて、彼女たちとのエピソードが中心で語られる。みたいな感じ。

 

作品通して言えるのはとにかく暗い!陰鬱とした雰囲気がずっと続く。若干ホラーみたいな要素も所々出てくる。あとは会話が全然噛み合ってないなーという印象。登場人物にはみんなそれぞれ強い芯みたいなものがあって、それがとにかくぶつかるんだけど、間一髪大きな衝突は免れることになる。その感じもすごく奇妙な雰囲気の演出に一役買ってる感じがして面白い。あとは、カズオ・イシグロ作品に共通して言えることといえば「信頼できない語り手」で、これはすごく面白い手法だと思った。最近でいうと映画の「Joker」みたいな。というか、そもそもどの作品どの人間も記憶が100%確かと言い切ることは無理ということは頷けるし、そういう意味では手法とすらいえないのかもしれない。

 

これはあんまりネタバレにならないように書くけど、最後の最後で「えっ」ってなるようなセリフがポンと出てくる。これに気づかないとそのまま終わるけど、これに気づくと「どういうことだ!?」ってなってもう一回読み返す羽目になる。しかもそのセリフ自体も気付きやすく配置されているわけではないからそのスリル感みたいなのもいいなーって思った。例を挙げるなら、これに気づくとゲームの裏分岐が見える、みたいな。

 

でも、このことはあくまで裏分岐であり、考察の域を出ない部分であると思う。実際、物語の根幹のメッセージ的な部分を揺るがすような大きなものではないし、それに気づくか否かで評価が変わってしまうような小説でもない。あくまでおまけの裏分岐。他にも、「結局あれ何だったんだろう...」みたいな最後まで明らかにならない部分も多くある。この作品のいろんな考察を読んでみたけど、ちょっとこういう部分に固執しすぎな気がする。もっと本質的な部分はきっと他にあるんじゃないかな、と思う。もちろん考察は読書をする上で面白い部分だけど、すべての謎が最後に明かされるミステリーではないのだから、読み終えてもなお謎が残ることも味わいの一つと言えるし、それをすべて明らかにしてしまおうというのは無粋と言っていい。

  

このままでは「書評評」になってしまいそうなのでこの辺にしておくけど、ともあれ、ここでいいなと思った文を紹介する。ニキが悦子に対して、詩を書く友達の話をする場面。その子の年齢について尋ねる悦子に対してニキは、

「お母さまったら、いつでも人の年齢ばかり気にするのね。年齢なんかどうだっていいわ。問題は経験よ。百まで生きたってなんの経験もしない人だっているわ。」

 

と答える。いったい自分は今本当に何かを経験できているのか、百まで生きたとして振り返って見た人生が空虚なものだったら笑う他ないなと思った。でも、事実ニキの言う通り百まで経験できない人もいるだろうと思う。ラッパーのHANGさんもこう言ってる。

 

環境のグレードを上げなくちゃ

ラップしかないおっさんになりたくない (i Believe

 

youtu.be

 

老後の俺には何が残ってるのか考えると震えるぜ

 

今はカズオ・イシグロの他の作品を読んでる。この人の作品は共通する部分が多くあるのかなという感じがする。それも気が向いたら書く。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

 

 

おわり